寝台特急「あさかぜ」の記憶
夜行列車の記憶・第7弾は、寝台特急「あさかぜ」です。
「あさかぜ」といえばブルトレの元祖、走るホテルとして国鉄時代は多くの人気を博したようですが、その頃の様子は残念ながら知りません。東京~博多、東京~下関の2往復が走っていたあたりを思い起こせるくらいです。前者は1994年12月改正で定期列車の運転取り止め、そして、最後の「あさかぜ」も2005年3月1日(火)ダイヤ改正をもって、廃止となりました。
4年前の今日は、「あさかぜ」最終列車の運転日。時が経つのは早いものですが、記憶を思い起こしてみたいと思います。こちらのページも一緒にご覧いただけると幸いです。
*東京19:00発→広島6:31着→下関9:55着
私が乗車したのは、2001年3月が初めて。その後、2003年~2004年にかけて8回乗車しました。いずれもシングルデラックス(A寝台1人個室)で、そのうち1回は両親を連れて乗りました。2番~4番の個室で、3番と4番は鍵を開けると通り抜けが可能となるものでした。こちらを両親に・・・。
「あさかぜ」のA寝台個室は、私にとって憧れでした。学生時代は遠く手が届かず、社会人になって余暇を趣味に費やすようになってやっと・・・。
この頃から九州へ行く時、往路は必ず寝台列車となりました。その幕が今まさに閉じられようとしています。
「あさかぜ」の記憶として1番に思い出されるのは、三原~広島間の走行音でしょうか。カーブの多い同区間で発せられる客車ならではの音、早朝のセノハチ越え。夏場だと既に外も明るくなり、犬の散歩や早くから農作業をされていらっしゃる方などの人間模様を眺めたり。
下関に着くのも私にとってはちょうどいい時間でした。駅売店でスポーツ新聞を買って、九州へ行く415系に乗り込むのが当時のパターンでした。記事を書きながら情景を思い浮かべてしまいました(^^;)
写真1枚目:5年前の東京駅での1コマです。
写真2枚目:アメニティセット一式がサービスとして。シャワーも無料で浴びることが可能でした。私も夏場に1度だけ使ったことがあります。
写真3枚目:テーブル・AV機器・洗面台がそろっていました。
写真4枚目:夜が明けた通路の様子です。
写真5枚目:ラウンジカーの様子です。眠れないときはここでおしゃべり、なんて光景もあったことでしょう。
写真6枚目:光駅に停車中に撮った1コマです。
写真7枚目:座席としても機能しています。
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コメント
山口県に3年ほど住みましたが・・・「あさかぜ」は全く考えず宇部空港ばかりで(^^;
東京では両国のパー◎ホテルを定宿にしてました
投稿: イワノブッチ | 2009年2月28日 (土) 14時10分
イワノブッチ様
下関発は16時台という早い時間帯でしたよね。東京方面はやっぱり航空機になりますよね(^^;
投稿: かがやき400号 | 2009年2月28日 (土) 17時37分
東京~博多間の「あさかぜ(当時は1・4号)」の廃止は、2000年12月ではなく、1994年12月3日ダイヤ改正です。
2000年12月改正では、「さくら」の佐世保発着が廃止されて、「はやぶさ・さくら」の併結列車になった改正です。
博多あさかぜには2度(1989年3月、1994年11月)と、いずれも下りに乗りましたが、金帯のB寝台車で、当時はレトロ風の食堂車が連結されていました。
「あさかぜ」からの転用車が、同改正から客車化された「はくつる」に渡ったのですが、2002年に廃止される直前、オロネ25形の車体外板がボロボロになっていたのを見て絶句したのを思い出します・・・
ちなみに、下関あさかぜは、ヒルネ利用でありますが、画像のラウンジカーにくつろいでましたよ
投稿: SHIGE | 2009年3月 1日 (日) 23時59分
SHIGE様
実は臨時列車としての完全廃止のつもりで、某辞書を鵜呑みにしてしまい・・・先ほどまで調べていたものの、証拠が見つからず・・・でした(^^;)。誤解を生じるとよくないので、これから訂正します。
食堂車のあった頃の寝台、1度だけ「さくら」のカルテットでかろうじてあります。1992年の春ということでギリギリセーフだったなぁ・・と振り返っています。
投稿: かがやき402号 | 2009年3月 2日 (月) 21時20分