寝台特急「はやぶさ・富士」(ソロ)の記憶
夜行列車の記憶・第9弾(最終章)は、寝台特急「はやぶさ・富士」のB寝台個室・ソロです。廃止前のダイヤを載せておきます。
- 東京18:03発→熊本11:49着
- 東京18:03発→大分11:17着
2005年3月ダイヤ改正で九州方面へ行く唯一のブルトレとなり4年、その歴史に幕が閉じられようとしています。「富士ぶさ」と略されたりするところにも、時代の流れを感じさせられました。乗車回数を自分勝手に整理してみます。これは、杖立温泉に足を運んだ回数と同じです。自分にとって第2の故郷への交通手段でもありました。
- 東京→久留米(2005年6月)
- 東京→熊本(2005年8月)
- 東京→大分(2005年11月)
- 東京→博多(2006年3月)
- 東京→博多(2006年6月)
- 東京→博多(2006年9月)
- 東京→博多(2007年3月)
- 東京→大分(2007年6月)
- 東京→熊本(2007年8月)
- 東京→久留米(2008年3月)
- 東京→久留米(2008年6月)
- 東京→大分(2008年9月)
- 東京→大牟田(2009年2月)
乗車したのは全て奇数番号個室(下段)でした。上段よりも進行方向前向きを選択する自分でした。山側の風景が広がります。この先、である調で失礼いたします。
記憶として印象に残る場面をいくつか・・・。
まずは島田駅を過ぎて大井川を越えるシーン。ここでいつも電気を暗くした。島田~金谷にかけての夜景がなんとも美しく見えた。大井川鐵道が見えてくると金谷駅通過、トンネルに入り、電気をつける。そして、この頃に「おやすみなさい」の放送が始まる。
「カーテンはよく閉めて、貴重品は身につけてお休みください」という放送が印象に残っている。
浜松~新居町にかけて部屋を暗くして眺めた風景も懐かしい。遠くに見える「イオン」、その後すぐに下り新幹線(おそらく臨時のぞみ)に抜かれていくパターンだった。少しだけ見える浜名湖の夜景も。
大垣を通過して垂井付近にさしかかると、下り本線は大きく迂回する。「○○歯科医院」の明かりを通過してしばらく進むと、そこは限りない闇夜の世界が広がる。と思ったら、途中で集落も現れて、家々に電気が灯っている。「こんなところにも生活があるんだ・・・」と、U2の音楽を聴きながらそんなことを思っていた。名古屋を発車して米原に着くまでの間、いつもU2を聴いていた。
関ヶ原を過ぎて東海道新幹線と交差する。もう新幹線は終わっている時刻で真っ暗なのが印象深い。
米原に着いてJR西日本に入るといつも寝る支度を始めた。次の目覚めは夏場はセノハチ付近、冬場は岩国あたりになる。
夜明けの早い夏場は犬の散歩や農作業の風景が見どころだった。特に農家の風景には頭が下がる思いだった。
こうして夜は明けて、なんとなく時を過ごしつつ、門司駅に着いてようやく外に出る。ここではゆっくり停車時間を味わうのが常だった。
単独の編成となった後は、やはりソニック待避が思い出される。「はやぶさ」は赤間もしくは福間で、「富士」は杵築でソニックに道を譲る。
こうしてすっかり日中の世界となった頃にいつも下車。それがとても贅沢な一晩に思えるのだった。
2009年3月13日の運転をもって引退することとなるが、私は「お疲れ様でした」という気持ちで静かに見守る気分である。この贅沢なゆとりある空間、今後も選択肢の1つとして残っていってほしいというのが、正直な気持ちである。
写真1枚目~3枚目:東京駅での1コマ。
写真4枚目:この瞬間がなんともいえない。
写真5枚目:田町~品川の様子。遠くに215系が見える。
写真6枚目:夏場の朝は早い。時計はまだ4:57だ。
写真7枚目・8枚目:気持ちの良い朝。
写真9枚目:門司駅での電気機関車交換作業。ここだけはいつも賑わっていた。
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